黒猫の見る夢 if 第12話


カタカタカタカタと軽快な音を立ててキーが打ち込まれる。
だが、キーボードの前に座るのは一匹の子猫。
普通に考えれば猫がパソコンをいたずらしている光景なのだが、迷うことなく打ち出される二本の前足と、画面に表示される文章を見れば、いたずらでは無くちゃんと意図をもってキーボードを打っていることが分かる。
最初はたどたどしかったその動きも、慣れてきたのか随分と滑らかになり、それに比例して文字を打つスピードも上がっていった。
そしてこの部屋の主である人間はというと、次々打ち込まれる文章に目を必死に走らせているところだった。
だん!という音が鳴りそうはほどの勢いで猫がEnterを押し、後ろに座る人間---スザクに振り返った。

「ふう、にゃあ!」
(だから、こういう事だろう!)

どうしてわからないんだお前は!

「そんなこと、どこに書いてるんだよ!?」

眉尻を下げ、情けない顔でソファーの上に乱雑に置かれた資料を手で示しながら、スザクはそう言った。
パソコンに書きだされた説明はスザク用に噛み砕いた文章だったためすんなりと理解できた。これで今まで抱えていた疑問が解消されたのはいいが、そんな内容今まで見たことも聞いたことも無かった。

「うにゃ!」
(それだ!)

猫が指し示す場所へ視線を向けると、どうやらソファーに投げ出されていた資料を指しているらしい。
猫の反応を伺いながら、スザクは厚い本を取り上げた。
あまりにもぶ厚く、読むだけで疲れるほど小さな文字がぎっしりと並び、堅苦しい文章で書かれたそれは、一度最初のページに目を通したきり一度も開いていなかった。
こんなもの読む人間など居ないだろう。
いるとしたらそこで偉そうにこちらを見ている仔猫か、その2番めの兄ぐらいだ。
ぎっちりと書き込まれた文字に目が滑り、一行も頭に入ってこない。
目も痛くなる。
戦場でもなかなか刻まないほど深い皺を眉間に作りながらパラパラとページをめくっていると、カタカタカタとキーボードが打ち込まれる。

[それは全部目を通しておけ。ラウンズならば、最低限必要な知識だぞ]
「ええ!?無理だよ!」

間を置くことなく即答したスザクに、猫---ルルーシュは呆れたような視線を向けた。
紫と赤のオッドアイに見つめられ、「だって・・・」と、スザクは肩をすくめ益々情けない顔となった。
もしスザクにも耳と尻尾があれば、どちらも力なく垂れ下がっているに違いない。
まあ、仕方がないと言えば仕方がないのだ。
いくら政治家の・・・首相の息子という生まれで、しっかりとした教育を受けていたとはいえ、それは10歳までの話であって、その後はろくな教育を受けられなかったのだ。
一緒に暮らしていたらしい女性から、生きるのに必要な知識は得たらしいが、この手の内容に触れられる環境ではなかった。
せめてカグヤのように六家で守り教育していたならともかく、それもなされず、軍に入隊してからは枢木とも完全に縁も切っているという。
学園に来るまで、学力は10歳で止まっていたのだから、枢木がスザクを粗雑に扱っていたことは明白だった。
そんな環境で育ったスザクに、いきなりこれらを身につけろというのは無謀なのかもしれない。
何より書かれている文字はブリタニア語。
基本的な読み書きには何ら問題はないが、専門書に書かれているような文体ではスザクには理解できないかもしれない。
・・・そういえば、昔から読書する事は苦手だったな。
日本語の児童向けの本であれだったのだ。
ならば。
カタカタカタと、両前足をキーボードに滑らせ文字を打ち込む。

[わかった。お前でも理解できるよう要点を纏めておいてやる]
「ほんと!?やった。ありがとうルルーシュ!」

ルルーシュの説明ならきっと理解できるよ!
スザクはルルーシュの申し出に嬉しそうな笑みを作ると、時計を確認した。

「うわ、もうこんな時間だ」

急がないと!と、慌ててラウンズのマントを纏った。

「ごめん行ってくるね。いい子にしてるんだよルルーシュ」

そう言いながら素早くその小さな額に口づけを落とすと、急ぎ部屋を後にした。
時計を見るとすでに朝の9時。
確か謁見は9時30分からだったか。
・・・間に合うのか?
しかし今あいつ、何で俺にキスしていったんだ?
意味がわからないんだが。
あまりの素早さに文句をいう暇もなく、ルルーシュは困惑していた。
・・・まあ、アイツは動物に嫌われる質だからな。
ペットとのスキンシップに憧れていたのかもしれない。
小さな頃から温厚だと言われている飼い犬飼い猫に噛まれ、学園ではアーサーに噛まれている姿を思い出した。
先日テレビで飼主が溺愛しているペットにキスをする映像をスザクと見ていたため、ルルーシュはそう解釈した。
今は弱ったルルーシュを優先しているためここには居ないが、スザクはアーサーも飼っている。だがあの猫はキスなどしようとすれば容赦なく引っ掻くだろう。
俺もそうするべきだろうか。
猫へと変化した自分の手をじっと見て、爪を出してみる。
かなり鋭いな。
痛そうだ。
・・・まあ、いい。
特に害はないのだし、あいつの気の済むようにさせてやろう。
スザクの今日の予定を思い浮かべた後、ルルーシュはキーボードに前足を置いた。



22時を回ったころ、仕事を終えたスザクは足早に部屋へと向かっていた。
その表情は見るからに機嫌が良さそうで、足取りも軽やかだ。
今までしかめっ面で人生に楽しい事など無いという表情しか知らない宮廷の者達は、一瞬我が目を疑うほどだった。
スザクの機嫌がいい理由の一つは、ルルーシュが用意したあの文章だった。
体力馬鹿で作戦など考える脳はないだろうと思っていたセブンが出した案は、その会議に出席していた者全員を驚かせた。
ルルーシュが立てた作戦はやはり完璧で、この内容ならわざわざラウンズが出る必要はないと、エリア9へ司令官として向かわずに済むこととなった。
問題は同レベルの作戦を今後も期待されるということか。
それはそれでまた問題だなと思いながら、スザクはカードキーとパスワードによるロックを解除し玄関を開けると、部屋へと足を踏み入れた。

そして、息をのんだ。

今朝、確かに資料の類を引っ張り出したことで、部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、今ほどではない。
本は乱雑に散らばり、引き出しや箱の類は開けられており、おそらくルルーシュが印刷したのだろう書類は床一面に散らばっていた。
誰かが部屋に侵入した?でも、施錠はされていたし、エラーや警報は鳴らなかった。
いや、今はそんな事どうでもいい。
スザクは慌ててあたりを見回した後、急ぎ別の部屋へ向かった。
どの部屋も荒らされている。
そして、探している姿が見当たらない。
何だ?
目的はルルーシュか?
誰だ?
まさか黒の騎士団?
あのとき、ルルーシュは僕のパソコンで仲間と連絡を取ったのか?
いや、もしそうならこんな探し方はしない。
もしルルーシュ・・・ゼロが猫にされていると騎士団員が知っているのであれば、ルルーシュは、自分から姿を見せるだろう。
では誰だ!?
誰が、俺からルルーシュを奪った!?

「くそっ!誰だこんなっ!・・・ルルーシュ!!」

思わず力いっぱい壁を殴りつけたその時、どこからか小さな音が聞こえた。





スザクがラウンズとして生きるために。
ナナリーを守る力となってもらうために。
必要だというのであれば、いくらでも手を貸そう。

カタカタカタとテンポ良く打ち込まれていたキーの音がぴたりと止んだ。
妙に腕がだるいなと、時計を確認すると18時を回っていた。
昼食と仮眠を取り作業を再開させたのは14時。
4時間打ち続けていたのか。腕が疲れるのは当然だ。
つい、久々の資料作りに夢中になっていたようだ。
・・・まあ、いいか。
多少無理しても死にはしないだろう。
動き回れる程度には回復したのだから、これ以上この体を癒す必要はない。
空腹感もないため、水分だけとれば問題はないと、テーブルの上に用意されたマグカップに入った水を口にした。
皿ではなくマグカップを用意したのは、ルルーシュが少しでも抵抗なく口にできるようにという配慮から。
テーブルに乗るのが駄目ならと、テーブルとソファーを隙間なくくっつけて、クッションで座る高さを調整し、猫の姿であってもソファーに座りながらパソコンを操作できるようにしてくれている。
憎しみと恨みを向けるべき相手に対し、どうしてここまでできるのだろうと、ルルーシュは何度もそのことを考えてしまう。
最終的に出てくるのは結論はいつも同じで、同情と、憐れみだった。
暗く沈んでいく感情に気が付き、軽く頭を振った。
今考えるべきことはそれではないし、考えたところで意味はない。
資料は完成した。
あとはプリントアウトするだけだ。
ページ数はやはり50を超えてしまったが、ここにある数十冊分を纏めたのだから仕方がないだろう。
これでも理解らないようなら、その場所だけ補足すればいい。
スザクにも解かりやすく作ったのだから、たとえ体力馬鹿の脳筋男でもこれである程度理解できるはずだ。
プリンターの電源が入っていることを確認した後、ルルーシュは印刷のボタンを押した。プリンターの用紙は今朝補給したから、50枚程度なら問題はない。
印刷している間は暇だなと、さすがに疲れたその体を横にしてうとうとしていると、玄関の外からわずかに足音が聞こえた。
おかしい。
確かスザクが戻るのは22時過ぎの予定だが。
ルルーシュは嫌な予感を覚え、するりとソファーから降りた。
この部屋は物が少なく隠れられる場所が少ない。
だから、ルルーシュは迷うことなく書棚へ移動した。
書棚の中の本は、昨日までは綺麗に並んでいたのだが、今朝スザクが資料を探したり、出し入れした事で乱雑に積み上げられていた。
本棚に分厚い本が適当に積み上げられた事で、本の後ろにわずかな隙間ができており、やせ細った仔猫の体はそこに問題なく入ることができた。
端から見れば、そんな狭い場所に生き物が隠れているなど想像もしないだろう。
念のため隙間から見えないよう、多少本を傷つけてしまうが爪を立て引っ掻くように周りの本をずらし息をひそめていると、入ってきたのはやはりスザクではなかった。
入ってくるのに今までかかったということは、鍵は持っていない。
不正な方法で侵入したということだ。
だが、警報が鳴らなかったということは、警報を切断している可能性もある。
本の隙間から様子を伺うと、そこにいたのはピンクの髪の少女。
ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムだった。
なぜここに?
そのことにも気になったが、きょろきょろとあたりを見回しているその少女の目も気になった。まるで意思を奪われたかのような瞳。
見覚えがある。
あれはギアスの影響が出ている時特有の物。
誰かのギアスの影響下にいるということか。
つまり皇帝以外にギアス能力者がいるということだ。
しばらくあたりを見回し、部屋を見て回ったアーニャは、面倒だと言いたげに嘆息した。

「ルルーシュ、いるんでしょう?出てきなさい」

その喋り方もまた、アーニャとは明らかに違うものだった。
絶対遵守のギアスとは違うその反応。
人を遠くから操るギアス、あるいはその体を乗っ取るギアスか?どちらにせよ目的は自分だということがはっきりした。
アーニャはソファーの上の資料や、手近な引き出しを乱雑にあさりだす。それはつまり、ルルーシュが仔猫の姿だと知っている、ということだった。
猫が隠れそうな隙間を調べ、ゴミ箱もひっくり返す。

「ルルーシュ。あなた、大分元気になったらしいわね?シャルルの所ではどんどん衰弱したのに、どういうことなのかしら?」

皇帝をシャルルと呼べる人物か。C.C.もシャルルと呼んでいた。皇帝より上の存在か、あるいはコードと関わるものか。
そして元気になったというのは、キャメロットを通した報告から来るものだろう。

「ルルーシュ、あなたは勘違いしているのよ。シャルルは貴方のことを愛しているの。ギアスが暴走したとはいえ、ユーフェミアを殺してしまって、その上親友にまで裏切られて、貴方とても辛い思いをしたでしょう?だから、貴方がこれ以上辛い目にあわないようにと、その姿にしたのよ。その姿なら、何も悩まなくていいもの。でも、会話が通じないのは辛いわよね?大丈夫よ、もうすぐシャルルがこの世界の神を殺すわ。そうすれば、体はそのままでも、全ての人と分かり合えるようになるから、なにも不自由はしなくなるの」

楽しげに少女の口から語られた内容に、ルルーシュはすっと目を細めた。
何を言っているんだ彼女は。
あの男が俺を愛しているだと?馬鹿な、あり得ない!
ギアスの暴走を知っている?俺の力を知っているということか?どういうことだ。
神を殺す?全ての人と分かり合える?皇帝の目的がそれだというのか?
何より、この獣の姿に変えたのは、俺を苦しみから救うためだと?
こんなもの、地獄の責苦、生き地獄以外の何物でもないだろうに!!
愛する者に行う事では無い!
体がこのままでも意思疎通できれば問題ない?
被害にあった者の気持など、一切理解していないその言葉に、軽いめまいを覚える。
なんなんだこの女。

「貴方のために、猫の家具も色々揃え直したのよ。前の物、気に入らなかったんでしょ?あれは可愛かったけど、あなたはそういうものは使わないものね。今度の物はきっと気に入るわよ」

その程度の理由で餓死しかけていたと、本気で思っているのだろうか。
だが、少女の声音はそのことを疑っていないようだった。

「神が死ねば、すべての人が私たちに感謝するようになるのよ。侵略戦争の意味も全部知れば、シャルルがどれだけ優しくて、あなたたちを愛しているかわかるようになるから。新しい世界ではね、誰も嘘を吐かなくていいのよ。本当の自分でいられるの」

アーニャは乱雑に部屋の中で仔猫が隠れられそうな場所を探しながら、楽しげに、自慢げに話していたが、どこにもルルーシュの姿が見えない事に、眉を寄せた。
書棚にも視線を向けるが、近寄ってはこなかった。
他の部屋にも向かい、引き出しや棚を荒らす音が響き渡った。
だが何処にも見つからないと不満気にこの部屋へと戻ってくる。

「ああ、もしかしてキャメロットに預けてるのかしら?」

そうよ、きっとそうだわ。
そうでなければ、こんなに素晴らしい話を私がしているのに、出て来ないなんて有り得ないわよ。
アーニャの姿をしたその人物は、そう口にしながら部屋を出て行った。
自分が荒らした痕跡を消すことなく、そのままに。
玄関のドアが閉ざされ、足音が遠のいていくのを耳にし、ルルーシュはほっと息をついた。自分が知らず毛を逆立てていることに、その時漸く気がついた。
何だったんだ、今のは。
感じたのは恐怖。
そして狂気。
アーニャを操り会話をしていた人物は、皇帝と共に神を殺し、新たな世界を構築しようとしているのだろうか。夢物語だと一笑したいところだが、ギアス、そしてコードという不可思議な力の存在を知っている以上、有り得ないことだと断言することはできない。
侵略戦争に意味があると言っていたから、神を殺す事と関係があるのだろうか。
嘘を吐かなくていい、本当の自分でいられる世界。
そして、全ての人と分かり合えるようになる。
言葉だけ並べれば、それは確かに理想かもしれない。
だが、皇帝のような、弱者を虐げるような人物と、先ほどのような人物が目指す世界は、そんなに綺麗なものであるはずがない。
おそらく、それが成されれば訪れるのは地獄。

・・・情報が足りない。

ルルーシュは念のため、スザクが戻ってくるまでその場所から動かなかった。

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